日付
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内容
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2001/09/30
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2002/03/19
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◆アメリカ同時多発テロについて◆
まず何よりも、今回のアメリカ同時多発テロの被害者の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
中でも尊い命を落とされた方々のご冥福を、祈ってやみません。いきなり重いテーマですが。
でも、この雑記帳を立ち上げようと思った理由の一つでもあるので、よろしければお付き合いくださいませ。まず第1報を聞いたとき、「びっくりした」とか「信じられない!」という人が多かったようですが、私の頭に浮かんだのは「遂にやっちまったか...」でした。
もちろん直接的に関係のない人間を虐殺するテロという行為は、たとえどんな理由があろうとも、許されないことだと思います。でも冷静に、(彼らがやったと仮定して)イスラム原理主義の立場で善悪抜きに考えた場合、アメリカ・イスラエル両国の強大な軍事力とまともにやり合っても到底勝ち目はないですから、自エリア内なら「ゲリラ」、相手エリア内なら「テロ」という手法は、容易に考えられるわけです。また、標的についても軍事施設は防御力が高いですから、「国力を殺ぐ」「精神的ショックを与える」と言う意味で「防御力が弱く」「経済の中心」であり「象徴的なもの」を狙うのもわかります。
たとえばあなたの会社(クラス)に「ひ弱で頑固だけれども真面目なA君」と、「ワガママで乱暴だけれど人気者のB君」がいたとします。ある日、このB君が後ろから背中をナイフで刺されました。A君はあなたの家に逃げ込んできました。B君はあなたの家の玄関先まで来て、「ぶっ殺してやる!そいつをこっちに渡せ!渡さないならドアをこじ開けて入って行って、おまえも一緒に殺してやる!」、と怒鳴っています。A君は「俺はいつもBにいじめられていたけれども、犯人は俺じゃない」と言っていますが、B君は「証拠がある」と言っています。あなたならどうしますか?どう思いますか?
(本当にAがやったと仮定して)、いくら理由があっても、人を刺すことは許されません。また、素手の相手を果物ナイフで、しかも後ろから刺すというのは卑怯なことです。しかしだからといって、「じゃあ、しかたないですね」といってそのままAをBに引き渡しますか?それは本当に正しいことでしょうか?
私の考えとしては、
@この件に関しては被害者であるB君の、怪我の治療、まずはこれが最優先です。
A事実関係およびB君が言うところの「証拠」の検証。これには公正な機関の介入が不可欠でしょう。
B君の家に連れて行かれてB君の友人や家族に尋問されたのでは、A君はもちろん、あなたも納得できないはずです。さてB君の言うとおり、本当にA君が刺したんだとします。では事実が分かったからといって、そのまま引き渡しますか?
この事件だけをとってみれば、「AがBを後ろからナイフで刺した」ワケであり、「Aは卑怯で過激な加害者」、「Bは善良な被害者」、だからBの言い分通りにAを罰する。本当にそれでいいんでしょうか?「なぜA君がB君を刺したのか?」は考えなくてもよいのでしょうか?
「B君にいじめられていた」というA君の話の真偽が分からなければ、今度はA君の家族がB君やその家族を襲うかもしれません。あるいはB君の言い分だけを聞いてA君の言い分を「この事件には関係ない」と言って検証せずにA君を有罪にした裁判官を襲うかもしれません。
随分と例えが長くなってしまいましたが、私の目にはこんな風に見えてしまいます。テレビや新聞の報道は殆どがアメリカ経由で、私たちはこれで本当に公正な判断ができているのかと疑念にかられます。えひめ丸のときも、日本では随分長い間「えひめ丸とアメリカの原潜が衝突・沈没した事故」と報道していましたが、イギリスBBCでは事故直後から「アメリカの原潜が日本の高校の漁業実習船に衝突して沈めた(直訳)」と報道していました。 この見出しだけを見た人は、どんな風に感じるでしょうか?前者では、「両方に責任のある不幸な事故」の印象があるのに対し、後者では「原潜側の過失による事故」という印象を受けると思います。どちらが事実に近い報道だったでしょうか?(これは一例であり別にイギリスBBCが常に正しいとも思っていませんし、アメリカおよび日本の報道機関が常にアメリカ政府の太鼓持ちとも思っていません。そもそもパレスチナ問題の発端を作ったのはイギリスの2枚舌外交だし。)同じ事実を報道していても立場によってまったく異なる印象の報道がなされる、ということが言いたかっただけです。
同様に常々感じているのがイスラエルとパレスチナの対立についての報道です。イスラエルでの自爆テロは破壊された店、血まみれで搬送される被害者が毎度大写しにされ、繰り返し報道されます。それを見て人々は「イスラム教って怖い」とか「テロなんて最低」と言います。しかし自爆テロに対して過剰に行われ続けているイスラエル側の報復攻撃についてはあまり報道されません(少なくとも地上波の民放のニュースでは滅多にお目にかかれません)。
単身での自爆と、正規軍による報復。実際の被害はどちらが大きいのでしょうか?どちらが破壊力があるでしょうか?現地の環境の違いということもあるでしょうが、パレスチナ側にだって報道機関はありますから記録は取っているでしょう。パレスチナ側の被害を世界中で報道されれば、パレスチナにとってはプラスになることはあってもマイナスにはならないでしょうから、外国のプレスが「フィルムを貸してくれ」といえば貸してくれるはずです。ではなぜ報道されないのか?「報道したくないから」としか思えません。偏った情報によって誤った認識をもち、誤った判断をすることは非常に危険だと思います。あなたは「ホロコーストを行ったナチスが、ヒトラーが生まれたから、ドイツ人は暴力的で危険だ。だから滅ぼすべきだ」と思いますか?
また立場を変えて、(今回のテロではよく「真珠湾攻撃」が引き合いに出されますが(映画「パールハーバー」ってタイミングよすぎるよな......))「真珠湾を行ったから、日本人は卑怯で野蛮だ。だから原爆を落としたのは正義の行為だ」と言われたら、あなたは納得できますか?私たちはアラブについて、イスラムについてほとんど知らないのではないでしょうか。知っているようでも、情報の多くが「欧米のメガネを通して見たアラブ」でしかないかもしれません。
極悪のテロリストがアラブ人のイスラム教徒だからといって「アラブは危険だ。イスラム教は暴力的な宗教だ」というのは短絡ではないのでしょうか?
だが、十二億人ものイスラム教徒が、みな暴力的ではない(実際、私の知り合いのイスラム教徒も真面目で人懐っこい非暴力主義者だ)し、イスラム原理主義の名で呼ばれるイスラム回帰の運動も、過激派は一部であり、大半は穏健派です。イスラム教の『ジハード』という言葉は『聖戦』と訳されていますが、厳密に言えば、武力に訴えるのは『外的な小ジハード』であり、自分の貪欲、憎しみなど悪い心を克服し、精神を浄化する『内的なジハード』こそが、より偉大な『大ジハード』であるとされているのです。しかも武力にしても、イスラムの教えでは、自衛のためにしか許されていないそうです。
聖戦と言えば、日本も先の大戦を「聖戦」と呼んで、アメリカやアジアに対して暴力行為を行いました(ちなみに例の「歴史教科書」ではやたらと「聖断」が記述されていますね)。その戦闘を正当化し、鼓舞するために、国家神道が利用されました。しかし、だからといって、「日本人も日本文化も、本来、暴力的である」と言われたら、どう思いますか?私は西洋文明が好きですし、その平等主義と合理主義を尊敬しています。だからこそ安易な「暴力による報復」や「欧米の利益のための囲い込み(例の「パイプラインを通すため」云々)」をしてほしくありません。侵略者やテロに対する、公正な国際的裁判のシステムの構築と、不信を信頼に変える努力をしてほしいと思いますし、必ずそれができると信じています。
それこそが「テロ」という「暴力の崇拝」への根本的な治療策となると信じています。
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