> スネ雷小説アーセナル以降改変8

■ Re-Birth (8) ■

 

 

 

 あまり人の住んでいなさそうな裏町。ボロボロのアパートメントの一室のドアを、妙なリズムをつけてスネークが叩いた。

 タン、タタタン、タン、タタン。木のドアにしてはなんだか変な音がする。鉄板でも入っているみたいだ。俺たちはドアが内側から開くまで、それとなく周囲を警戒して待った。

「やぁ、お帰り───って二人とも何だい、その格好? 臭いが……」

 笑顔でドアを開けたオタコンが、途端に顔を顰める。

「仕方ないだろう。軍だの警察だのがウジャウジャしてたからな。お前はステルスがあるから楽勝だろうが───こっちは下水と地下鉄の廃線路とホームレスの溜り場を抜けて帰って来たんだ。街中は監視カメラだらけでかなわん」

 スネークはドカドカと中へ入っていくとキッチンの引き出しから大きなゴミ袋を引っ張り出して、そこに着て来たコートやら何やらを突っ込みながら答えた。顎をしゃくって俺にも同じようにするよう促し、横のドアを指差す。

「さっさと脱いで、先にシャワーを浴びて来い。俺は慣れてるが、VR育ちではすぐ、ダニだの何だのにやられるぞ」

 言いつつあちこち破れたソファーに腰を下ろし、煙草に火を着ける。頷いてバスルームに向かいかけた俺の背中に、オタコンが声をかけた。

「タオルや着る物は、中のを適当に使って。出て来たら何か飲むかい? といっても、紅茶とコーヒーくらいしかないけど」

「あ、じゃあコーヒーを……出来ればカフェオレで」

「水か牛乳にしておけ。お前はもう少し、眠った方が良い。────おい、俺のビールは?」

 煙草を蒸かしながら立ち上がって冷蔵庫を覘いたスネークが、振り返って責めるようにオタコンを見た。

「君、潜入前に全部飲んだじゃないか。『飲み収めかもしれん』って」

「───そういや、そうだったか。帰りに買ってくりゃ良かったな」

 彼は溜息をついて、戸棚から酒瓶を引っ張り出し、グラスに注いだ。一口飲んでから、バスルームのドアに手を掛けて突っ立ったままの俺に気付く。

「どうかしたか?」

「いや────意外に普通だから……」

 普通というか────結構、所帯臭い。散らかっているという程ではないが、小奇麗とも言えない微妙な感じ。生活感とでも言うのだろうか、ベッドと小机があるきりの監獄のような俺の部屋とは、全く違う温かみがあった。

「ふん。秘密基地にでも住んでると思ったか?」

「でも───『伝説の英雄』なのに?」

 がっかりした訳ではないが、びっくりはした。

「言っただろ、『伝説』なんて、ロクなもんじゃない。俺だって、ただの人間だからな」

 グラスを傾けながらまたソファに腰を下ろしたスネークの後ろで、オタコンが眼を輝かせる。

「秘密基地、良いよね! 僕も欲しいんだけど、NGOといっても、活動は殆ど自腹だから。PCと装備以外には、お金を掛けられないんだよ」

「装備は殆ど横流しか使い古し。金喰ってんのはお前のオモチャ代だ」

「オモチャとは失礼な! ハック・マシンだって今回はちゃんと、役に立ったじゃないか!」

「ま、今回だけはな。今まで役に立ったためしはないが」

「次は自律運動と遠隔操作が出来て、ステルス搭載の奴を開発中なんだ。完成すれば、スネークが直接乗り込む必要も少なくなるよ」

「判った判った。じゃあ金が残ってる内に、さっさと完成させてくれ」

 俺は二人の会話を、少し羨ましい想いで見ていた。俺にはこんな軽口を叩き合う友人なんか、いなかったから。ぼんやりと突っ立ったままの俺を、スネークが促す。

「何してる? 早く流して来い。俺が入れんだろうが」

「あ、ああ。すまない」

 今度こそドアを開けて、俺はバスルームに入った。ここもリビングと同じで、そこそこ片付いてはいるが潔癖と感じる程ではない生活の臭いがある。ぴっちりと全身を覆っていたスカルスーツを剥ぎ取るように脱ぎ捨てると、全身に残る戦闘や陵辱の痕が目に入った。どちらも手当てが必要な程のものではない。日数が経てば、自然に治癒するのは経験から判っている。けれど………。

 目を瞑って温かいシャワーの湯を頭から浴びると、自然に大きな溜息が漏れた。

 

 

 

「スネーク───良いのかい? これ以上、彼は巻き込みたくないって言ってたのに……」

 バスルームから水音が聞こえ出してから、オタコンがそれまでの笑顔を潜めて咎めるように俺を見た。

「───さぁな。俺にも判らん」

「判らん……って、そんな無責任な──!」

「だが、奴に今必要なのは、記憶だ」

「記憶?」

「愛した記憶、愛された記憶───偽りじゃなく、な。奴に残っている本当の記憶は……虐待と殺戮だけ……両親も奴を庇って目の前で殺されたらしいが、顔も、声すら覚えていない。会ったこともない『伝説の傭兵』───俺だけがずっと、心の支えだったそうだ。いつか助けに来てくれる、ってな」

 そんな奴を、『愛国者達』の手元に置いて行けるか?

「でも───それじゃ君が居なくなってから彼が、余計に辛い想いをするんじゃ……」

 確かに、俺の身体には急激に、老化の兆候が出始めている。これからそれが、どれだけ加速していくのかも判らない。寿命だって、きっとそう長くは無い筈だ。

「……そうだな。そう遠くない内に、置いて逝くことになるかも知れん────だが、奴はまだ若い。愛し愛された記憶があれば、いつか又きっと、幸せになれる日がくる筈だ」

「そう、だね……」

 自分に言い聞かせるような俺の言葉に、オタコンも静かに頷いた。沈んだ空気を押し流すために、俺はわざと明るい声で続けた。

「まぁ、そんなのは只の綺麗事の言い訳で、単に俺が奴を傍に置きたいだけかもしれん。あんまり可愛いんでな。記憶の改竄とトラウマによる健忘があったとはいえ、よくまあ壊れもせずに、あんな生まれたてのヒヨコみたいなままでいられたものだ」

「───子供の頃、そんなに酷い目に?」

「ああ───奴に比べれば俺の子供時代なんて、まだまだ可愛いもんだ」

 オタコンに詳細を話すつもりはなかった。雷電がライコフとかいう奴の、クローンだということも。どうやらあまり褒められた性癖の持ち主ではなかったようだし、誰だって自分が誰かのコピーだなんて、言われたくはない筈だ。その為に自分が性的虐待を受けたとなれば、尚更だろう。

 俺だって自分がビッグ・ボスのコピーだなんて、知りたくもなかったからな───煙草を大きく蒸かして溜息を誤魔化し、俺はソファに疲れた身体を伸ばした。

「何というかその───『捕まった』って感じだな……俺としたことが」

「『捕まる』?」

 オタコンが首を傾げた時にバスルームから聞こえていた水音が止んで、俺たちは会話を打ち切った。オタコンが冷蔵庫から牛乳を出し、俺もソファに座り直して酒を傾ける。白いバスローブに身を包んだ雷電が、濡れた髪をタオルで拭いながら姿を見せた。

「お、出たか。早かったな」

「はい、やっぱり牛乳。よく眠れるようにね」

「奥の右側が俺の部屋だ。ベッド使っていいぞ、俺はこのソファで寝るから」

 コップになみなみと注いだ牛乳を受け取って、雷電は一気にそれを飲み干し、口許を拭った。それから無言のままじっと、俺の顔を見つめる。

「…………」

「? 何してる、早く寝ろ」

 促すと、空になったコップをオタコンに返した雷電は、意を決したように口を開いた。

「……俺が寝てる間にいなくなったりとか────しないか?」

「あぁ? するわけないだろう」

 そんな事を考えていたのか。まあ、ビッグ・シェルでの俺達の行動を見ていたら、あながち突飛もない発想だとも言えないが。

「────本当に? アンタ達、嘘ばっかりついてたじゃないか」

「悪かったな。あの時は仕方なかったんだ。もう嘘は言わんから、信用しろ」

 と言っても、すぐには無理か。雷電はまだ真意を測るように、何も言わずに俺の顔を見詰め続けている。

「…………」

「~~何だ、手でも繋いで寝ろってのか?」

 てっきりこう言えば、引き下がるかと思ったのだが。奴はしばらく考えた後、こくりと頷いた。本当に、生まれたての雛みたいな瞳で、俺を見る。

「────出来れば。アンタなら横にいても、眠れると思う」

「~~~~~わ、か、っ、た。風呂から出たら、俺もすぐに行く。寝ないで待ってろ、馬鹿」

 俺は大袈裟に溜息をつき、雷電の肩を抱くようにして強引に俺の部屋へ連れて行った。風呂に入ろうと戻ってくると、オタコンがぽかんと口を開けて突っ立っている。手には雷電に手渡された空のコップを掴んだまま。一瞬の間のあと、開いたままだった口がようやく動いた。

「…………えーと、僕は今、君が見事に捕まってる決定的瞬間を、見ちゃったのかな?」

「……うるさい」

「スネークのあんな顔、初めて見たよ。ちょっと驚きだ。あんな優しい顔が出来るなんて」

「……黙れ」

「てっきり君は女性にしか興味が無いんだと思ってたけど───さすがにここまで守備範囲が広いとは思わなかったな。美人なら何でもアリなんだ?」

「……そういう事じゃない。殴るぞ」

「殴らないよ。僕に戦闘能力がないのを知ってるからね。君は非戦闘員は殴れない」

「………っ…」

 何も言い返せなくて俺はガリガリと頭を掻き、咥えたままだった煙草を灰皿に捨てて、無言のままバスルームに向かった。

 

 

 

「───そんな所で何してる?」

 毛布に包まってスネークの部屋の床に座っていると、しばらくして戻ってきた彼が呆れたような声を上げた。ボクサーパンツにバスタオル、オセロットに痛めつけられた左肩と右腿には、真新しい包帯が巻かれている。

「俺は床で良い。俺がベッドを使ったら、アンタが寝れないじゃないか」

「馬鹿、この部屋は4月でもまだ、底冷えするんだ。隙間風も吹くしな。少々狭いが、一緒に寝れば良い。手を繋ぐより、よほど安心だろう?」

「一緒……に?」

 彼は躊躇している俺を床から引っ張り上げると、後ろから抱き竦めたままベッドに倒れ込んだ。俺の被っていた毛布の端を引き、自分の身体も毛布の中に潜り込ませる。互いの素肌が、軽く触れ合った。

「こうでもしないと、ベッドから落ちちまうからな」

「────え、……と……あ、の───しないの、か?」

 俺は恐る恐る尋ねた。男とベッドに入って、何もされないのは初めてだった。昔はいつも嫌々だったけれど、相手がスネークなら───少し、期待してしまう。こんなにくっついていて、早鐘を打ち始めた激しい胸の鼓動に気付かれないだろうか? 

「───ああ。したくないわけじゃないが、流石に今日はもう疲れた。ここじゃ狭いし、オタコンもまだ起きてるしな」

 スネークは俺の背中を抱いたまま軽く伸びをして深い息をつくと、耳元に軽く口付ける。

「おやすみ───お前も、早く寝ろ」

「ああ───おやすみ」

 促されて目を閉じたものの、一向に睡魔はやってこなかった。クタクタに疲れているけれど、疲れすぎて眠れない。背中にぴったりと人がくっついているのに、心が落ち着いているのも新鮮な驚きだった。

 いや。眠ってしまったら目が覚めたとき、スネークとの事が全部夢になってしまいそうで、怖くて眠れなかった。

 俺に腕枕をしている彼の掌に、そっと自分の掌を重ねる。確かに彼は、ここにいる。やっぱり、温かい───…。

「さっき───」

「…ん~?」

 独り言のような呟きに、スネークが眠そうに応えてくれる。もし彼が途中で眠ってしまってもいい。俺は言葉を続けた。

「さっき……昇り詰めたとき、赤い海が見えた───」

「赤い海?」

「俺は深い、赤い海の底にいて───水面に丸い、キラキラと眩しい光が見えて───流されたり潰されたりしそうになりながら、そこに昇って行った。アンタと一緒に。で、辿り着いたら……」

 あんな感覚は初めてだった。途方も無い解放感と陶酔感。

「それは───産まれた時の記憶かもしれんな」

「産まれた……記憶……?」

 赤暗い海。遠くに見える光。奔流。圧力。そして解放。

 胎内から羊水と共に、狭い子宮口と膣を通って外界へ。確かにイメージは符合する。

「偶に覚えている人間もいるそうだ。お前もそうなんじゃないか?」

「だが……アンタもいた。俺一人じゃ、とても辿り着けなかった」

「そうか───なら、お前はきっと、その時に本当に産まれたんだ」

「本当に……産まれた……?」

 俺を抱き竦める腕に少し力が込められる。彼は言い聞かせるように、俺の耳元で囁いた。

「それまでの過去は全部、子宮の中で見ていた夢だ。お前の人生は、これから始まるんだ」

「始ま、る……?」

 あの時もスネークは言っていた。大丈夫だ。終わりじゃない、始まりなんだと。長い永い悪夢の胎内からようやく、俺はこの世に生まれてきたのか。

「……だとしたら、アンタのお陰だな───ありがとう、スネーク───」

「いや───せっかく生まれてきても、良い事ばかりじゃないがな。だが多分、悪い事ばかりでもない。俺も、お前のお陰でそう思えてきた────ありがとうな、今日まで生き抜いてくれて……長いこと待たせて、すまなかった───」

「スネーク────…」

 彼は何も悪くない。俺が勝手に憧れて、俺が勝手に待っていただけなのに。更に強く抱きしめられ、思わず胸がいっぱいになって、ぼろぼろと涙が溢れた。

「────いいのか? 俺……」

「何が?」

「俺なんかが、此処にいていいのか? アンタの傍に、いてもいいのか? ───こんなに幸せで、いいのか───?」

「バカ、当たり前だ」

「────たくさん……たくさん殺したんだ。数え切れないくらい……」

 掌に指先に、刃物で人を殺したときの感触が蘇る。筋肉や血管の切れる音、刃先が骨に当たる手応え。

「きっと───許されない………」

「なら───俺も、許されないな。俺も、たくさん殺した。親友も……父親や兄弟さえ、この手にかけた………」

 背中から聞こえる声は、本当に辛そうで、寂しそうで、俺は思わず振り返った。彼が泣いているのではないかと思った。彼の瞳は乾いていたけれど、心が泣いているのははっきりと判った。

 俺が殺してきたのは名前も知らない赤の他人ばかりだったが、彼は身内───自身の分身とも言える存在を、倒すことを強いられてきたのだ。

「…っ、アンタは、幸せになって良い! いや、なるべきだ! やりたくてやったんじゃない、アンタはもっと多くの人たちを助けるために、一番辛い役目を果たしただけだ!」

「そんなご大層なもんじゃない───お前も俺も、同じだ。殺したくて殺したんじゃない。死にたくなかった───それだけだ」

 言い募る俺の言葉にスネークは困ったような、泣き笑いのような表情を浮かべて、俺の頬を濡らしている涙をそっと親指で拭ってくれた。

「スネーク……」

「……だが俺達にだって、幸せになりたいと願うくらいは、許されるはずだ───いや、俺がお前に傍にいてほしいし、幸せにしたいと思ってる。それで不足か?」

 俺なんかに傍にいて欲しいと、幸せにしたいと願ってくれる人がいる───。そう思うと、せっかく拭ってもらったばかりなのに、またどっと涙が溢れた。

「───すまない……俺、アンタの前では、泣いてばかりだ……」

 早く涙を止めようと目元をゴシゴシ擦ると、彼は俺の髪をくしゃりと掻き混ぜ、今度は声を上げて笑った。

「構わん……明日から、笑ってくれれば良い。ついでに今までの分も、全部、流してしまえ。───俺みたいに泣けなくなってからじゃ、遅いからな」

 そう言いながら、スネークは俺の髪を撫でて、背中をトントンと優しく叩いてくれた。そうされるとまた涙が、止め処なく溢れた。

 今までずっと、泣きたかったこと、泣けなかったこと───全部、判ってくれているんだ───。

 俺はもう何が悲しいのか、悔しいのか、嬉しいのかも判らずに、ただただ彼の分厚い胸にしがみついて、子供のように泣きじゃくり続けた。

 

 

 

 ───どれ位、そうしていたのだろう。優しく抱き締められて目元や耳元に口付けられている内に、いつの間にか嗚咽は収まり、涙も止まっていた。その代わりとでも言うように、ムクムクとまた、下半身が疼き始める。それがスネークの太腿に当たっていることに気付いて、俺は慌てた。

「あ…っ…? これは、その…っ……」

「───気にするな。疲れマラってやつだろう。俺も若い頃、経験がある。ずっとアドレナリンが出っ放しだったから、身体が混乱してるだけだ」

 己の身体の反応に焦って言い繕おうとした俺の頭を、スネークがまたそっと撫でてくれる。

 ……本当に、そうだろうか? 子供の頃ソリダスに言われた通り、俺には淫蕩な血が流れているのではないのか? あんな事があってから、まだ一晩も経っていないというのに───。

 思わず俯いて唇を噛んだ俺の額にキスをして、スネークは目尻に皺を寄せて悪戯っぽく笑った。

「コレじゃ、眠れそうもないな。ちょっとだけやるか。あんまりデカい声は出すなよ?」

 

Re-Birth(9)に続く)

 

 

 

Top  / 戻る