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■ Profit from things (2) ■
「こんなメシじゃ、血肉にならん。生の肉でも魚でもいいから、もっと動物性タンパク質をガンガン食わせろ」
ようやく昨日ICUを出て普通の個室に移ったばかりだというのに、スネークは驚異的な回復力(と食欲)を見せて俺達を喜ばせるやら呆れさせるやらで。さっき一応、飲むヨーグルトで煮込んだオートミール?みたいな朝食を摂ったのだが、スネークが「もっと普通のメシを喰わせろ」と煩いのでナオミから食堂のスタッフに頼んでもらって、残り物の食事を分けてもらってきたのだ。
「ゼイタク言うなよ。アンタ本当ならまだ、流動食なんだぞ? それを無理に用意してもらったんだ。昼飯からはちゃんと、普通食を三人前頼んでおいた」
スネークはフンと鼻を鳴らして、クリーム色の安っぽいプラスチック製の食事トレイを右手で受取った。しかし、この国ではベッドにテーブルを載せるという習慣がない様で、部屋の中を見回してもそれらしいものがない。仕方なくギプスに固められた腿の上に載せようとして、軽すぎてぐらつくそれに彼は眉を顰めた。
「喰わせてやろうか?」
「……メシぐらい、自分で喰える」
憮然として皿に伸ばしたスネークの右手から、俺はトレイをひょいと取り上げた。
「遠慮するな。ほら、口開けて。ア~ン」
トレイを脇のワゴンの天板に置き、薄いシチューをスプーンに一口分掬って彼の口元に運ぶ。スネークは諦めたように溜息をついて、口を開けた。そっとスプーンを半ばまで口に入れると、ズズッと啜って顔を顰める。
「――――マズイ」
「病院のメシってのは、マズイのが基本だ。だがジャングルで生のヘビだのカエルだの喰うより、ずっとマシだろ? それとも、野ネズミとかコウモリとかなら近くで見かけたから、捕まえて来ようか? 生でいいんだよな?」
以前のジャングルでのミッションの時の食生活を思い出したのか、スネークは応えずにちょっと目を瞑って唸り、やれやれと首を竦めた。
「次はそっちのパン。チーズ載せてな」
「OK」
ふにゃふにゃした白パンを小さく千切ってチーズを一片ゆるく押し乗せ、口に含ませる。彼は口をもごもご動かしながら、顎をしゃくった。
「それは何だ?」
「暖めたヤギのミルクだと思う。飲むか?」
自分で一口飲んで温度を確かめてから、俺はストローつきのマグカップをスネークの口元に運んだ。
「……何だお前、楽しそうだな」
くすくす笑いながらいそいそと給仕をする俺をちらりと見て、彼は不満そうに言った。
「ちょっとだけな。こういうの、滅多にないから」
スネークの面倒を見るのは、何となく新鮮で、楽しかった。
彼は普段、自分のことは何でも自分でパパッと済ませてしまうので。彼によれば「やることはさっさとやって、ゆっくりゴロゴロしたいから」らしいのだが、結局、空いた時間で人の面倒を見てしまう。皿を洗ったり、濡れたままの俺の髪を乾かしたり。実はけっこう世話焼きで、損な性分なのだ。
それに、このところずっと色んなコードだの何だのに繋がれて死んだように横たわっている寝顔しか見ていなかったから、まだ包帯だらけとはいえこんな風に食事をしたり、喋ったりしている彼の姿に、思わず頬が緩んでしまうのは仕方がなかった。
「そういや今朝、カテーテル取ったんだって? ダメだろ、勝手な事しちゃ」
あらかた食べさせ終わって最後の一掬いのシチューをかき寄せながら、俺はさっきナオミから聞いた話を思い出した。ベッドから降りられない(というか、普通ならまだ胃腸が弱っているから流動食じゃないとダメだし、腰に負担がかかるから上半身を起こしてもいけないらしい)のでずっとカテーテルで導尿していたのだが、一体どうやったのか、今朝、自分で勝手に外してしまっていたそうだ。「元気な重傷患者だわ、まったく」と呆れていた。彼女とオタコンに『セクハラ防止』のためと勧められ昨夜からは俺も院長の家で寝泊りしているので、言われるまで気付かなかった。
「あんなモンで四六時中、ムリヤリ垂れ流しにされてたまるか」
「アンタまだベッドから動けないんだから、仕方ないだろ? どうする気だ?」
最後の一口を啜りながら唇を尖らせる彼に何の気なしに訊くと、スネークはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。コレは彼が悪戯を思いついた時の顔だ。何だか嫌な予感がして、俺は少し身体を強張らせた。
「お前が採ってくれ」
「……採るって?」
スネークは右手でチョイチョイとベッド脇のワゴンを指差した。中ほどの段にプラスチックの採尿器が置いてある。彼の意図に気づいて、俺は顔を赤らめた。
「じ、自分でやれ、そんなこと!」
「何だ、動けない俺の世話すんの楽しいんだろ? それに『俺の』なんて持ち慣れてるだろうが」
「それとこれとは…っ」
「あ~~、メシ喰ったらスゲーしたくなってきた。漏れそうだ。う~~ん」
「……っ、判ったよ、俺がすりゃいいんだろ、このワガママもんっ!」
モゾモゾと腰を動かすのにとうとう折れて(だってホントは絶対安静だし)、俺は採尿器を手に取りガバッとシーツを捲った。そこまでは良かったものの、患者用の薄いガウンをあからさまに持ち上げているソレに、つい、動きが止まってしまう。しかも彼はまだ、ガウン以外何も身に着けていなかった。
「ちょ…っ、ア、アンタ何考えてんだ!」
「ソコは無傷なんだから仕方ないだろ? 生理現象って奴だ。小便と違ってカテーテルじゃ採れないから、もう随分、溜まってるんだよなぁ」
ニマニマといやらしい笑いを浮かべながらうそぶく。俺が恥ずかしくて触れるのを躊躇っていると、スネークは大袈裟に溜息をついて自分の無傷の右手を恨めしそうに見つめた。
「嫌なら仕方ないな。まぁ幸い、コイツだけは無事だし。自分でやるか」
そう言ってさっさとガウンをはだけ始めるのを見て、俺は慌ててその手を押さえつけた。
「わわっ、止せ、バカ!」
「んなコト言ったって、このままじゃ小便も出来ないだろうが。それとも看護婦にでもやってもらえってのか?」
「わ、分かった! お、俺がするっ!」
目の前でマスをかかれるのも、看護婦にヌカせるのもゴメンだ。それくらいなら……。
「どっちを?」
スネークがちらりと自分のモノと俺の手にした採尿器とを見やる。俺は目を逸らしてごもごもと口篭った。
「う、ど……どっちも……」
「へえ。じゃ、こっちから頼む」
ドスンと枕に凭れかかりながら、股間を指差す。俺はとりあえず採尿器を元の場所に戻して、ベッドの横の丸椅子に腰を下ろした。久しぶりに目にするソレは、相変わらずゴツゴツと逞しく、黒光りしてそそり立っている。大きさこそ粗末ではないものの、つるりとして生っ白い俺のと同じ器官だとは、とても思えない。
こくりと唾を飲んで身を屈め、部屋の扉を少し開けたままにしてあるのを思い出して、俺は慌ててロックをしに席を立った。
「ついでにこれも返しとけ。取りに来られちゃ困るだろ?」
相変わらずニヤニヤ笑いながら、スネークがワゴンの上に置いてあった食器のトレイを片手で取り上げる。俺は真っ赤な顔で彼を睨みつけて、それをひったくるように受け取った。廊下の返却用の棚に食器を置き、ちょっと躊躇いつつも部屋に戻る。音がしないようにそうっとドアを閉め、慎重に鍵を下ろした。
「そんなにビクビクするな。ナオミが回診に来るまで、まだ時間はたっぷりある」
「っ、うるさい!」
電気を消し、ブラインドも薄っぺらい白いカーテンも全部閉めて部屋を見回した。それだけやっても、日差しの強いこの国では充分な明るさがあって、思わず溜息が出てしまう。俺は椅子に腰を下ろしながら、恥ずかしさのあまりちょっと毒づいた。
「まったく、こんな明るいうちから……」
「夜は静か過ぎて、余計ヤバイぞ」
確かに、テレビもラジオもあまり普及していない(この病院ではロビーに古ぼけた日本製のテレビが1台あるきりだった)この国では、夜の消灯以降は病院の中も外も静まり返ってしまう。小さな話し声でも良く響いてしまいそうだ。ましてや……してる時の声なんて。
「それもそう、だな……」
「判ったら、さっさとしろ」
考えて思わず頷くのに、当然のように急かされて、少しカチンと来る。
「だからってアンタ、節操がなさ過ぎる。そこを怪我すりゃ良かったんだ!」
「何だ、元気で嬉しいだろ?」
ちっとも堪えない様子に俺は頬を染めたまま溜息をつき、覚悟を決めて、ソレへと身を屈めた。まずは指先でゆっくりと撫で回して、先走りの液を全体に擦り付けてから、そっと握り込む。上へと絞り上げ、先端部でくるりと手首を捻って下へと扱く。時々捻りを加えながら何度かそうすると、スネークの唇から満足そうな呻きが漏れた。
「何、ちょっと早くないか?」
「っ、だから、溜まってんだって」
少し眉を顰めて放出を堪えながら苦笑いするスネークがちょっと可愛くて、俺は少し余裕を取り戻した。彼の顔を見上げたまま、先端にちろりと舌を這わす。
「ぅ、ぉ…っ…」
スネークは小さな声を上げて、俺の頭を自分のモノに押し付けた。口を開き、促されるがままにそれを咥える。やはり少し消毒液の臭いがしたが、それでも変わらない味と匂いに、俺はむしゃぶりついた。夢中で舌を絡め吸い上げていると、スネークの指が頭からうなじへ、背中へ……それから腰へと降りてくる。
「ん…っ……ふ…っ…ぅん…っ…」
弱いところを執拗になぞられ、俺はスネークのモノに奉仕を続けながら鼻を鳴らして全身をくねらせた。とうとう指が双丘の狭間へと分け入ってきて、俺はハッと我に返って咥えていたものから口を放した。
「ちょ…っ、ダメだって…!」
「お前も溜まってるだろ? 何せ俺より若いんだからな」
しつこく尻を撫で回している手を叩いてどけさせようとすると、逆にグイッと腰を引き寄せられてしまう。結局俺は立ち上がって上半身を屈め、腰だけをスネークの方に突き出したような格好になっていた。
「お、俺は後で自分でするから…っ…」
「遠慮するな。お互いにやった方が気持ち良いし、早く済む」
「え、遠慮とかじゃなくって……ひゃっ!?」
「へぇ。脱がせ易くってイイな、これ」
止める間もあらばこそ、着ていた看護士用の水色の薄っぺらいズボンが下着ごと、ぺろんと膝まで下ろされてしまった。普段着ているピチピチのジーパンとかなら、ベルトだのボタンだのジッパーだの、幾つも防御ポイントがあるのだが。緩めのウエストゴムだけでは、ちょっと指を引っ掛けるだけで簡単に脱がされてしまう。
「ちょっ、やめ……ぅわ…っ!」
「何だ、もうすっかりその気だな」
スネークの手が遠慮もへったくれもなく後ろから太腿の間に突っ込まれ、起ち上がりかけていたモノを握られる。俺は少し開いていた太腿を反射的にぎゅっと締め付けて、彼の手の動きを遮った。
「やっ、駄目だって言ってるだろ!」
「どっちが先にイかせられるか勝負だ。俺が負けたら今日のところは大人しくしておいてやる。こっちは右手だけだがお前は口も両手も使えるんだから、随分なハンデだろ?」
冷静に考えれば、どっちにしろお互いにヌキ合うってことで、スネークの思惑通りなのだが。その時の俺は、彼の「大人しくする」という言葉の方に注意が向いていた。
「――――ホントに、大人しくするのか?」
「もちろん。俺が嘘をついたことがあるか?」
初対面の時から嘘ついてたことはしゃあしゃあと棚に上げて、スネークは大仰に首を縦に振った。
「――判った」
俺は真面目に頷いて、スネークの手を挟み込んでいた脚の力をそっと抜いた。それから握ったままだった彼の欲棒を、もう一度口に含む。スネークは溜まってるみたいだし、どうせ片手しか使えないのだから、楽勝だと思った。エッチな舌使いにも、多少は自信があった。
「んっ、んぅ、んっ」
しっかりと吸い付いて上半身全体を上下させ、根元の方は左手で扱きながら、右手で袋の方をやわやわと揉みしだく。垂れる唾液を時折わざとジュルジュルと音を立てて啜った。顔の横に落ちてくる髪を耳の後ろに掻きあげて、咥えているところがスネークから良く見えるように、気をつけながら。
男ってのは大抵、「見る」のが好きな生き物だし、彼は特に、いつもフェラの時やイク時の俺の「エロい」顔を見たがっていたので。普段は恥ずかしいから顔を背けたり手で隠したりして出来るだけ見られないようにするのだが、仕方ない。今日は勝負らしいから特別だ。
スネークは少しの間、頬を高潮させて自分のモノをしゃぶっている(多分かなり「エロい」)俺の顔を楽しそうに眺め、それからおもむろに右手を動かし始めた。俺のストロークに合わせて、ぎゅっ、ぎゅっ、と扱く。まるで牛の乳を搾るみたいに。いつもと違う動きと角度に、有利だった筈があっという間にテンパってしまって、俺は焦った。そして思い出した――――俺だって、溜まっているのだということを。
ローズと付き合っていた頃はせいぜい月に1、2回で、それすら特にしたいとも思わなかったから、自分はタンパクなのだと思っていた。だが、スネークと暮らすようになってからは、しない日の方が少ない。ホンバンはしなくても殆ど毎日のようにヌカれていて、いつのまにか俺の身体はそれに順応してしまっていたらしかった。
「ぅんっ…んぁ……ああ、ちょ……タ、タンマ…っ」
「駄目だ。勝負だからな、待った無し」
「ん、んん、ぁん、あは、あ、ぅん」
スネークは容赦なくピッチを上げる。俺はもう口に含んでいられなくて、両手で彼の剛直を一心に扱きながら喘いだ。
「あ、あ、あぁ、だめ、だ……イ、イク…っ……ぁはあ…っ!」
「…む…っ…ぉ……」
結局俺達は、殆ど同時に達してしまっていた。頬に口元に、ジュッジュッと湯気の立ちそうなスネークの温かい迸りを感じながら、俺も彼の掌の中に放出した。
しかし身の内に彼を受け入れて内側から溢れ出すように達するのと、ただ扱かれて吐き出すのとでは、同じ射精であっても快楽の余韻がまったく違う。内側からイカされた時には身体の芯から爪の先まで痺れたようになって、篭った熱が冷めるまでかなりの時間が掛かるのだが。荒い息を整えつつ、顔についたソレを無意識に指先で口元に集めて舐め取るうちに、身体の熱が引いてくる。
「何だ、俺がいない間、随分いい子にしてたんだな?」
揶揄うように言いながら、スネークは自分の掌に付いた俺の白濁をぺろりと舐めた。そういうのは恥ずかしいから、やめろといつも言ってるのに。自分のことは棚に上げて俺は慌てて身体を起こし、枕元のティッシュを5、6枚取り出して彼の手を乱暴に拭きながら言い返した。
「うるさい! アンタだって早かっただろ。しかもやたら多いし」
「お互い一途で結構なことだろ。それとも他でヌイてきて欲しかったか?」
「っ、じゃなくて、余計なことを言うなって言ってるんだ!」
ティッシュだけでは何だか匂いが残っていそうで、俺はワゴンの引き出しからアルコールティッシュを引っ張り出してもう一度しっかりと彼の手を拭いた。大きくて無骨で、どう見ても不器用そうなのに、なんであんなに上手いんだか。
「綺麗にしてくれるのはいいが、先に自分の顔を拭け。――エロいぞ」
言われて慌ててもう一枚取り出し、顔に付いた残りを拭き取ろうとすると、ひょいと顎を持ち上げられる。
「ちょっと待て。先にそのままでキスさせろ」
つまりエロい顔のままでキスしたいってことらしい。俺は顔を赤らめて眉を顰めた。
「えぇ? ――――趣味悪いな、アンタ」
「失礼な。俺は確かにスケベだが、趣味は悪くない――――だからお前を選んだんだろ?」
自信満々でニヤリと笑いながら言われて、俺は溜息をついて目を閉じた。
最低なのに、なんでこんなに格好良いんだ、畜生。
「悪い、買い物して来たら遅くなっ――――」
買い物袋を両手に提げ、息を弾ませてガチャリと個室の扉を開けると、スネークがグラマラスな美人の看護婦の手を握って、にこやかに談笑しているところだった。
「おう。毎日悪いな」
本当に悪いと思っているのか、俺には軽く手を上げただけで、また看護婦と話をし始める。俺にはさっぱり判らない、ここの公用語のフランス語で、楽しげに。英語すら時々アヤシイ俺と違って、スネークときたらフランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、ラテン語もペラペラで、イタリア語やポルトガル語、アラビア語、北京語、日本語まで、カタコトながら喋れるのだ。
いったい何を話してるんだか。フランス語って、何言ってても口説いてるみたいに聞こえるし。
思わずジトリと睨んだ俺の視線に彼女の方が気付いて、そそくさとスネークの手を解いて席を立った。艶やかな黒い巻き毛に、くっきりとした目鼻立ち。健康的な小麦色の肌に、凹凸に富んだ女らしいボディーライン。最近はあまり見なくなったナース服のスカートの下に白いストッキングを纏い、すらりと伸びた脹脛が綺麗だ。はっきり言って、看護婦よりもモデルの方が似合いそうな彼女が軽く会釈をして出て行くまで、スネークはヘラヘラと笑いながら(でも視線は身体のラインをなぞっているのがアリアリで)、手を振って見送った。
「うん、やはり看護服よりナース服の方が目の保養になるな。アメリカじゃ最近はイイ女も皆、パンツスーツの看護服でつまらん。お前もどうせならナース服にしろよ」
~~~~~この、スケベ親父め。
「ふざけるなよ。……何の話してたんだ?」
「ん? いや、只の世間話だ。メシが冷めちまうからって持って来てくれてな。今日も暖かくなりそうだとか、テレビもなくて退屈だろうとか」
「ふん、どうだか。スープすっかり冷めてるじゃないか」
傍らのワゴンの天板に置かれた食器からは、少しも湯気が出ていない。ってことは、彼女は結構な時間、ここにいたってことだろう。
「もうすぐお前が来るだろうと思って――――何怒ってるんだ、お前?」
「別に。どうせ俺はフランス語、分からないからな。俺の悪口だろうがナンパだろうが、好きにすればいい」
手に持っていた紙袋から出したボックスティッシュとウェットティッシュを、ワゴンの下の段に乱暴に突っ込む。もう無くなりかけていたので、病院のものを何度も分けてもらうのも気が引けて、わざわざ街に行って買って来たのだ。このところ使用量が増えた理由が理由だけに――――余計に腹が立つ。
「ナンパ? 女性にリップサービスするのは当然だろうが。特に世話になった美人には」
「当然、ね。お愛想どころか、手まで握ってたくせに。アンタって、スコットランドとかモンゴリアンとか色々言ってたけど、実はイタリア人じゃないのか? 美人と見るとすぐにコナかけて」
自分もそうされたことを思い出して、俺は更に不機嫌になった。彼は『いつも通りに』軽い気持ちで口説いたのに、スキンシップに弱くて甘いセリフに免疫のない俺が、コロリと参ってしまっただけなのかもしれない。
「――――何だ、もしかしてお前、妬いてるのか? 彼女はな――――」
「っ、妬いてるんじゃなくて、呆れてるんだ! それだけ元気なら、別に俺が面倒見る必要ないだろ?! さっきの彼女も居るし!」
ニヤニヤ笑いながら揶揄うように言われて頭に血が上った俺は、手に持っていたもう一つの袋――――「歯応えの有るモノが喰いたい」と言っていたので奮発して買った干し肉の塊――――をスネーク目掛けて思いっきり投げつけ、後ろも見ずに病室を飛び出した。
結局、その日はさっさと院長の家に引き上げ、飯も食わずにフテ寝した。でもいくらゴロゴロしていてもスネークのことが気になってイライラするし、奥さんが『具合でも悪いのか』と何度も煩いので、仕方なく次の日は昼過ぎに家を出た。しかしここは荒野のど真ん中のオアシスに病院とそのスタッフの家と小さなよろず屋があるだけのところで、町はバスに乗って1時間も先だから時間を潰すところもない。他に行くアテもないのだから仕方ないと自分に言い訳しつつ、俺は病院に入った。
だが昨日の今日で、スネークの病室に入るにもなかなか踏ん切りがつかない。ロビーでぼんやりテレビを眺めていると昨日の彼女が近づいて来て、おずおずと何か話しかけてきた。でも当然フランス語なので、さっぱり判らない。
無視するわけにもいかなくて愛想笑いを浮かべて困っていると、運良くオタコンが通りかかった。何か二言三言、言葉を交わしてから(オタコンもナオミもフランス語とドイツ語は話せるのだ)、「雷電、ちょっと」と促され、俺はホッとして彼と一緒にロビーから外に出た。
「彼女みたいだね、スネークが言ってたの」
玄関横のバス停のベンチに腰掛けながら、ニコニコと笑う。スネークの奴、オタコンにまで自分の女ったらしぶりを自慢してたのかと、俺は無表情を装いながらもまたカチンと来た。
「───へぇ、スネークが、何て?」
「すごく積極的で困るって。根掘り葉掘り訊かれて面倒だけど、世話になってるからムゲにも出来ないし、かといってホントのこと言ったら君が怒るだろうからって」
「? 俺が、怒る?」
別のことで怒ってはいるが。ホントのことって? 首を傾げた俺に、オタコンが怪訝そうな顔をする。
「あれ、聞いてない? 君とスネークは親子ってことになってるだろ?」
「お、親子ぉ!?」
そ、そういえば、最初この病院に着いたとき、そんなことを言われたような気もする。ずっとスネークの怪我のことで頭がいっぱいで、俺はロクに人の話を聞いてなかったし、その内容もほとんど覚えていなかった。
「ただの同僚がつきっきりで看病なんて、変に思われるじゃないか。この辺は君たちみたいな――その、関係、はご法度だし」
「あ、ああ…そうか……」
しかも夜通し手を繋いでるところまで、点滴の交換のときなんかに何度もばっちり見られてるし。あの時は他人の目なんて気にする余裕もなかったが、普通の世間様では、親子兄弟・夫婦以外じゃそんなこと絶対しないだろう。
「彼女、君に一目惚れしたらしくてね。でもこの辺りじゃ親の許可がないと男女交際出来ないし、女性の方から申し込むのは、はしたないからダメなんだってさ。『お父様から息子さんに紹介して下さい』ってしつこくて、まさか自分の恋人だとも言えないから参ったって、スネークも頭抱えてたよ」
「息子さんって――お、俺のことか!? 彼女、スネークに惚れてるんじゃないのか!?」
「はぁぁ?――――雷電、君、かなり目が眩んでない?」
驚いて少し声を荒げた俺に、オタコンは呆れたような哀れむような溜息をついて、眼鏡をずり上げた。
「あのねぇ。金髪碧眼の見目麗しい王子様と、埃まみれの年齢も人種もよく判らない全身古傷だらけの怪しいオジサンだよ?」
「で、でも『伝説の傭兵』だぞ? 何度も世界を救った、すっごい英雄なんだぞ?」
あんなに渋くて男前でカッコいいのに? 安っぽいマネキンみたいな俺の方が良いなんて――――女って、よく判らない……。
信じられない、と頭を振る俺に、こちらも信じられないと両手を挙げて首を振り、オタコンが言い募る。
「そりゃあ知ってたらともかく、そんなの皆、知らないんだから。若い女性ならスネークより君に好意を持つ方が普通なんじゃないの? 僕も色々訊かれるけど、ここの女性スタッフ、みんな君に興味津々らしいよ? 気付かなかった?」
そ、そういや何か、やたらジロジロ見られてるなぁとは思っていたが。てっきり肌が蒼白いのとか、スネークが気に入ってるみたいだから切れないまま背中まで伸びっぱなしの銀に近い金髪とか、半袖の服では隠せないバーコードみたいな変な刺青とかが、この辺りではそんなに珍しいのかとばかり。
「――何、もしかして、昨日『気分が悪い』ってさっさと帰ったのって、彼女が原因?」
「う……まぁ……スネークの奴、こう、手ぇ握って、すごく仲良さそうに話してたし、『ナース服は目の保養になる』とかニヤニヤ喜んでたし――――」
「それって殆ど、いつも通りじゃないの?」
「う…ん。そう、だな――――」
そういえばそうだった。普段から彼は、町で可愛い娘や色っぽいお姉さんを見てはヤニ下がるし、飲み屋のチーママとすぐに仲良くなっていちゃついたり、スーパーのレジの女性と際どい会話をしたりもしょっちゅうで。その度に俺はジリジリしていたけど、だからといって彼は別に浮気するわけでもなく、ただそういう会話を楽しんでいるだけらしかった。
「じゃあもしかして昨日、殴るとか物を投げつけるとか、した?」
「あ――ちょっと、だけ……」
手に持ってた――――確か、肉の塊を、投げつけた。それも思いっきり。
「ふーん。なるほど、それで」
納得した、といった顔でオタコンが頷く。
「それでって、何が?」
「ん~~。ちょっとね。くっつきかけてた鎖骨がズレてて、ナオミに怒られてたからさ」
「え――――」
普段の彼なら、俺が何をしたって大したダメージを受けるわけがなかった。元気そうにしていても、やっぱり今は身体がホントじゃないのだ。もしかしたら俺に心配をかけないように、無理して「いつも通り」に振舞っていたのかもしれない。そう思うと腹が立つどころか、申し訳なさでいっぱいになった。
やっぱり俺は、子供だと言われても仕方ない。目の前のことしか、考えられないんだから。
溜息をついて落とした俺の肩を、慰めるようにオタコンがポンポンと叩く。
「大丈夫だよ、すぐに牽引して戻したし、鎖骨なんてちょっと位ズレてても大したことないんだからさ。もう既にあっちもこっちもズレまくってるしね。一箇所くらい、どうってことないって」
「でも……せっかく治りかけてたのに――」
「まぁ、君が腹を立てたのも、判らなくもないけど―――何かもう、あそこまでいくと本能というか習性というか―――子供の時の教育係がイタリア人だったらしいし―――とにかく、本人は何も考えてないと思うよ? 悪気があったわけじゃないんだから、君も許してあげたら?」
「あ、ああ─――」
元はと言えば、俺が人の話を聞いてなくて、勝手に誤解してただけらしいし。そういえばあの時、彼は何か説明しようとしていたみたいだった。それがいきなり俺が怒り出して、その上、治りかけてたところを怪我させられるわ、ナオミに怒られるわでは、踏んだり蹴ったりに違いなかった。
───ダメだ、俺。
ほんの何週間か前は、スネークが助かるなら自分なんかどうなってもいい、とか思ってたくせに。調子に乗って、どんどんワガママになって。彼はとても優しいけれど、そのうち愛想を尽かされても仕方ない。
「俺……謝って来る」
「ん。―――頑張ってね」
大丈夫、と肩を叩かれたけれど、気が重かった。自分だったら絶対、腹を立てているはずだから。
そうっと病室に入ると、スネークは枕を腰に当てて上半身を少し起こし、右手で小さな本を顔の上に開いて、珍しく難しい顔をしていた。何だか近寄りがたくて、俺はしばらくドアの横の壁に凭れかかって彼を眺めていた。俺が入って来たのに気付いている筈なのに、スネークは何も言わず黙々とページを繰っていく。俺はこくりと唾を飲み込み、意を決して口を開いた。
「あ、の、――スネーク?」
「何だ」
うわ、やっぱり機嫌悪い………。
何も考えていなくても不機嫌に見える俺と違って、基本的に彼は普段誰かと話すときはちゃんと目線を合わせてニコニコ(というかニヤニヤ)しているのだ。それが目も上げないということは、かなり頭に来ているに違いなかった。焦りつつ、何とかきっかけを作ろうと言葉を探す。
「あ、えと、もう――――メシは、喰ったのか?」
「ああ」
「一人で?」
「当たり前だ。昨日からずっと、一人で喰ってる」
「そ、うか……なら、他に何か――─」
「別に何もない」
にべもなく言い切られてしまって、後が続かない。いつもならケンカしてもスネークの方が折れてくれて、何だかんだと上手く宥められているうちに仲直りしてしまうので、自分ではどうしていいか判らなかった。でも、とにかく謝らないと。
「昨日は――――悪かった」
「構わん。気にするな」
必死の思いで言ったのにあっさり返されて、俺は途方に暮れてしまった。もうちょっと、文句を言うとか怒鳴るとかしてくれれば、こっちも言い訳するなり謝るなり出来るのに。もうこれ以上何もセリフが思い浮かばなくて、俺は溜息をついて椅子に腰掛けた。
しばらくして、スネークが突然口を開く。
「経過も順調だし、もう身の回りのことは自分でやれるから、別に毎日来なくても良いぞ。適当に遊んでろ」
「え…?」
「こんなところで怪我人の相手ばかりしてるんじゃ、お前も退屈だろう? 何なら先に、ニューヨークかアラスカのアジトに帰ってても良い」
こっちを見もしないで。彼がそんな風に、そんなことを言うのは初めてで、俺は不覚にも泣きそうになった。
『来なくていい』ってことは『もう来るな』ってことか?
どうしよう。
やっぱり、すごく怒ってるんだ………。
何か――何とかしないと――――。