「なぁ、『クリスマス』って何がそんなに目出度いんだ? みんななんであんなに浮かれるんだろ?」
フィランソロピーでの一日早いクリスマス・パーティが終わって車に乗り込むと、待ってましたとばかりに助手席の雷電が口を開いた。最近コイツは、こういう質問が多い。もしかするとコイツの精神年齢は、俺が考えているよりずっと低いのかも知れない。まったく、さっきまで陸軍の最新鋭装備についてウンヌンしていたのと同一人物だとはとても思えない。
まあ、そのアンバランスなところも魅力といえばそうなんだが。「何で?」「どうして?」とまるで子供みたいに次から次へと質問されると、こっちもちょっと答えに窮してしまうこともある。
「キリストの誕生日だからだろ。まぁ、実際には誕生日なんて正確には判らんがな。昔の教会の偉いさん方がそう決めたのさ。もっとも、この時期は世界各地の原始宗教で収穫を祝う『冬至祭』があった時期だから、それと被せて現地の宗教との融合を狙ったんだろうな」
「じゃあ、キリストの誕生日とサンタクロースはどう繋がるんだ? そもそもサンタクロースって何者?」
「サンタクロースってのは、4世紀頃のセント=ニコラウスっていう司教の名前がなまったものだ。で、セント=ニコラウス祭ってのが元々12月6日だったんだが、時期が近いから降誕祭とくっついちまったらしい」
「ふぅん。じゃあ、なんでサンタはプレゼントをくれるんだ?」
「ニコラウスって司教はよく貧しい人の家にこっそりお金を置いていったり、子供達におもちゃを配ったりしていたんだとさ。だからそれにちなんで、プレゼントの慣習が出来たんだろうな」
「なるほど。……アンタ、物知りだなぁ」
どうやら一応納得したらしい。実はそろそろこういう事を訊かれそうだと思って下調べしておいたのだ。だが、俺はそんなことはおくびにも出さずに、珍しく前髪をディップで固めて剥き出しになっている雷電のおでこを指先で突付いて顰め面をした。
「お前が知らな過ぎるんだ。ちゃんと勉強しとかないと、ジェシーが口を利けるようになってから困るぞ。子供は何でも親に訊くからな」
「そんなの、アンタが教えてくれればいいじゃないか」
「ふん。俺は『子持ちの子供』の質問に答えるのに忙しいんでな」
ぶぅ。そんな擬音が聞こえそうな勢いで雷電が膨れ面をする。顰め面ばかりしていた以前と違って、最近では表情も随分豊かになった。その分、かなり幼くなった気もするが。失われていた子供時代を今、必死に取り返していると思えば、何だかいじらしい気もしてくる。
「何でも親に訊いてくる、か……。俺は自分の親どころか、ソリダスのことも覚えてないけど……俺の親ってどんなだったんだろ?」
遠い目をして独り言のように雷電が呟く。コイツは普段、あまり昔の話をしない。殆ど憶えてないせいもあるだろうが、思い出したくないってのもあるんだろう。あまり顔には出ないが、今夜は酔っ払っているのかもしれない。
「……きっと、優しい人だったんだろうと思うぞ」
「なんで? そんなの判らないだろ」
俺の言葉に、アルコールでいつもより少し赤みを帯びた唇を不満そうに尖らせる。
「お前を見てれば判るさ。『三つ子の魂、百まで』って言うからな」
「三つ子? 双子とか、四つ子とかの三つ子?」
「いや、三つの子、つまり3歳までに形成された人格は、百歳になっても大して変わらないっていう日本の諺だ。これは心理学的にも検証されてる」
「そうなのか?」
「3歳までってのは、発達心理学で言うところの『基礎的信頼感』が形成される時期だからな」
信号の合間にタバコを銜えると、雷電がライターに火をつけて差し出しながら、首を傾げる。
「基礎的……何だって?」
「基礎的信頼感。全能感ともいう。『自分に世界が変えられる』っていう自信や外界に対する信頼といってもいい」
「赤ちゃんがそんな大きなことを考えるか?」
「まあ、おおげさに聞こえるがな。例えば腹が減って泣く、そしたらミルクが来て満腹になる。オムツが濡れて泣く、すると新しいものに変えてもらえる。不快な世界が『自分が泣く』ことで快適な状態に変わる。そうすると『自分が何かをすれば外界は応えてくれる』という自信がつくわけだ。それが基礎的信頼感。この上に、大きくなってから他人や物体、システムなんかに対する信頼感が形成される。逆に小さい時にほったらかしにされたりして基礎的信頼感が脆弱な子供は、あらゆることに対して不信感を拭うことが出来ないようになる」
「ふぅん。そう言われれば、そうかも」
「つまり、すぐに他人を信用して騙されやすいお前は、基礎的信頼感がしっかりしている……小さい時は親に大事にされていただろうなってことだ」
「……どうせ『騙されやすい単純バカ』だよ、俺は」
むくれた雷電がドアに片肘を突いて窓の外に視線を逸らす。ギアチェンジの合間に柔らかなプラチナブロンドに手をやると、煩げに振り払われた。俺は少し大袈裟に溜息をついてタバコを蒸かし、ハンドルを握りなおす。
「素直でいい子だって言ってるんだぞ? それに、おふくろさんが美人なのは確実だな。息子がこんなに綺麗なんだから」
「……女顔で悪かったな」
「やれやれ、美人だって言ってるのに。素直じゃないな、お前は」
「さっきは『素直でいい子』って言ったぞ?」
予想通り、雷電が更にむくれて突っかかってくる。俺は自宅のガレージにバックで車を突っ込みながらすっ呆けた。
「そうだったか? さ、着いたぞ。ジェシーは俺が抱いてくから、荷物を頼む」
むっつりと黙り込んだまま、雷電は後部座席からパーティの残り物の食料(招待客の相手で、2人とも殆ど食べられなかったのだ)の入った紙袋を引っ掴んで車を降りると、ドアを思いっきり蹴って閉めた。ドカンと派手な音を立てて車が揺れる。チャイルドシートのジェシーが一瞬間を置いて派手に泣き出し、雷電はバツが悪そうに立ち竦んだ。
俺はジェシーをあやしながら雷電の頭をくしゃくしゃと撫でた。今度は振り払わずに、俯いてじっとしている。その様子は悪戯を叱られた子供のようだ。まぁ、本人も「しまった」と思っているようだし、これ以上咎めることもないだろう。俺は少し溜息をついて、外気で冷たくなった雷電の陶器のような頬に口付けた。
「拗ねるなって。まぁ、そんな顔も可愛いけどな」
食堂のおばさんたちが「残り物だけど、良かったら」と持たせてくれた紙袋の中身はそうとは思えないほど綺麗に小分けして盛り付けされていて、これだけでも「レストランのクリスマス・パック」って感じだ。素直にそう口にすると「お前は人気者だからな」とスネークが笑う。むしろスネークの方が人気者なんじゃないかと俺は思うけど。
「あ、クラムチャウダーもある。かなり冷めちゃってるけど」
「じゃあ暖める前に少し、ジェシーの分にするか。寄こせ」
ジェシーは最近ではミルクだけじゃなく、ペースト状のものなら食べられるようになってきている。まだ生暖かい蓋付きのカップを渡すと、スネークはキッチンで手早くジューサーにかけた。出来上がったものを少し指先に付けて舐め「ちょっと濃いかな」とミルクを足してまた少し機械を回す。
俺たちの中では少しずつ、スネークは食事担当、俺が片付け担当って感じで固まってきている。ローズと暮らしていた頃は、彼女よりは自分の手料理の方がマシなので出来るだけ俺が作るか、仕事帰りに買って帰ることが多かったのだが。ここに来てからはテイクアウトも、すっかりご無沙汰だ。マクドナルドやケンタッキーが、ちょっと懐かしい。
そんなことをつらつらと考えながら、ケーキやチキンやポテトをちょこちょこと並べていると、スネークがスープと離乳食を持って戻ってきた。だけどジェシーは人ごみで疲れたのか気持ち良さそうに眠っているので、とりあえずそのまま寝かせることにする。
シャンパンとグラスも出して、サイドボードに置いていたクリスマスセールのおまけで貰った小さなツリーをテーブルに載せて。スネークがどこからか古ぼけたランプを出して来て、部屋の明かりを消すと弱いけれど暖かな灯が、俺たちの顔を照らした。
「おお、なんかクリスマスっぽいな」
「ああ。じゃ、いただくとするか。……っと、その前に。メリー・クリスマス」
リボンをかけた小箱が、目の前に置かれた。スネークの顔を見返すと、「開けてみろ」と顎をしゃくる。首を傾げながらリボンと包装紙を剥がし、濃紺のビロードの箱を開けると、シルバー(プラチナかな?)のリングが入っていた。一見シンプルだが、取り出してよく見ると縁の部分や裏側に細かい細工がしてあって、実は結構な値がするんじゃないだろうか。
「……何だ? これ」
「お前にやる。クリスマスプレゼントだ」
スネークはこともなげにそう言うと、ローストチキンをパクつき始める。そういえば、女物にしてはちょっとサイズがでかいかな……じゃなくて!
「……って、こんな高いもの貰えない。お返し、買う金もないし」
俺は慌ててリングをケースに入れ直して、スネークに突っ返した。働き出してから少しずつ返しているとはいえ、生活費どころか離婚の弁護士費用とか仲介費とかまで、全部立て替えてもらってるのに(それらの費用や当座の生活費を差っ引かないまま、うっかり有り金全部を慰謝料にしちまったのだ)。それ以外にも、ベッド買い換えたり、服だの生活用品だので、結構お金使わせてるし。
「たまたま通りかかって安かったから、思わず買っちまったんだ。遠慮せず取っとけ。嵩張るもんじゃなし」
面倒臭そう(というより照れ臭そう?)に、スネークがチキンを持った手の甲で小箱を押し返してくる。
「……安かったって、幾ら?」
エンゲージ・リングを買う時に一度行ったきりだからよく知らないが、大体、こんなものの安売りなんてあるんだろうか。でもスネークが衝動買いするところなんか、見たことない。それに普段俺たちの生活の中で宝飾店の前を通ることなんか、ないはず。ってことはもしかしてコレ、わざわざ買いに行ったんじゃないのか?
「プレゼントの値段なんざ、訊くもんじゃないぞ。しかも本人に。ああ、もう、いいから取っとけって。どうせ安物だ」
「でも……」
「いらないんなら、捨ててもいい」
俺が受け取りも突き返しもしないのに焦れたように、スネークが言い放つ。俺がそんなこと出来ないのを判っていて、そう言うのだ。こういうところは、ちょっとずるいと思う。
「……判った。じゃあ有難く、貰っておく。だけどお返しは出来ないからな?」
俺は少し溜息をついて、小箱をちょっとだけ自分の方に引き寄せた。スネークが満足そうに頷く。
「そんなもん、いらんさ。もう充分貰ってるからな」
「? 誰から?」
フィランソロピーのパーティは「プレゼント禁止」になっていて(オタコンによると、以前スネークにプレゼントが殺到して大騒ぎになったかららしい)、誰からも何も受け取っていないはずだった。俺がきょとんとすると、スネークがシャンパンのグラスを俺の頬に押し当てて、ちょっと真面目な顔で言う。
「お前に決まってるだろう」
「え……?」
俺が今までにあげたものと言えば……カ、カラダだけなんだけど……っ。
マジな顔と渋い声と、あんまりな内容に自分でも判るくらい真っ赤になってしまった俺を見て、カラカラと笑う。
「お前、何考えてるんだ? ま、それもあるけどな。ちょっと違うぞ?」
「じゃあ、何なんだ?」
照れ隠しにチキンに齧り付きながら思わずつっけんどんに訊くと、スネークは遠い目をして、自嘲するような笑みを浮かべた。
「……実は以前は、クリスマスは好きじゃなかった」
「どうして?」
「クリスマスって、『家族』とか『恋人』のイベントって感じがしないか? 何だか見せ付けられてるみたいでな。ヤキモチだとは思いたくないが、あまり気分のいいものじゃなかった」
そういえば、おれもそうだ。寄り添う家族連れや恋人達。そういう『普通』の人達の幸せそうな姿を見せ付けられているようで、12月になるとさっさと年が明けてくれないものかと思ったものだ。ローズと付き合うようになってからも、クリスマスは『金と時間がかかる上にキャンセルできない面倒なイベント』でしかなかった。
「でも、今年は……家族も、恋人もいる、クリスマスだからな」
そう言って、寂しいような優しい笑みを浮かべる。胸が熱くなる。俺たちはどちらからともなく抱き合って、ゆっくりと口付けを交わした。
「チキンの味だ」
「シャンパンの味がする」
唇を離して同時に言い、頬を擦り寄せ合って笑う。
「一生分のプレゼントと引き換えてもいい位だ」
互いを抱きしめる腕に力が篭る。いつまでも続いて欲しいような、温かな気持ち。
温かな夜。
聖なる夜。