雷電の奴は、昨夜から妙に機嫌がいい。
今日は久しぶりに三人揃って、買い物に出られるからだろうか。
低血圧なのか、朝はたいてい不機嫌なのに、今朝はラジオから流れる流行の曲にハミングしながら、ジェシーを抱いてミルクを飲ませている。テーブルには朝食のサラダとハムエッグ。料理の腕は、まあ、悪くない。最近では少しずつ、手の込んだものも作れるようになってきた。
ずっと自炊していた俺にはまだ敵わないが、少なくとも「出来ることなら一生レーションで暮らしたい」と雷電に言わしめたほどのローズの手料理よりは数段上だろう。
俺は欠伸をかみ殺しながら食卓に着いて、玄関から取ってきたばかりの朝刊を拡げた。紙面にはあいかわらず嘘臭い記事が惜し気もなく並んでいる。
一緒に暮らすようになってひと月、奴はまるで猫のように急に拗ね出してツンケンしてみたり、かと思えば突然抱きついてきてキスをねだったりと未だに掴み所がない。その度俺は顔には出さないものの、内心オロオロしながら奴の望む行動を捜す。
まったく、こんな若造に主導権を握られているなんてお笑い種だが、もっと不本意なのはそれでちっとも頭に来ない自分自身だ。
「スネーク、今日はみんなで出かけるんだから、食べ終わったらちゃんとヒゲ剃ってくれよ」
「ん~? 昨夜も剃ったし、構わんだろう、別に」
俺は雷電に手渡されたコーヒーを啜りながら、生返事を返した。正直、面倒臭い。
「ダメ。洗面台にシェーバー充電して置いといたから。わかった? スネーク」
ジェシーもパパのおヒゲ、チクチクはイヤだよなー? 赤ん坊の背中をポンポンと叩いてげっぷを出させながら、釘を刺してくる。
初めて会った時も、予備のSOCOMを渡してやったら「代わりに」とシェーバーを渡されて面食らったものだが(普通、初対面の相手に髭剃りを渡すか? しかも銃器の代わりに)、コイツは本当にヒゲが嫌いらしい。俺は生えていてもいなくても気にならない質だから、以前はたいてい無精ヒゲを生やしていたような気がするのだが、雷電と暮らすようになってからは自分のヒゲの感触を忘れてしまいそうだ。生えてたからどうってこともあるまいに。
俺は話題を逸らすため、わざと顔を顰めてここ一ヶ月のあいだ何度も繰り返したフレーズを口にした。
「……あのな、雷電。お前その『スネーク』ってのはいい加減に止めろと言ってるだろう。一応、お尋ね者なんだからな、『スネーク』は。デイブかプリスキンにしろ」
「だってスネークって全然『デイブ』って感じじゃないよ。それに『プリスキン』は苗字だろ、偽名だけど。一緒に住んでるのにそれじゃ他人行儀だし、かといって『イロコィ』なんて言いにくいから嫌だ」
『プリ』とか『イロ』なんて略すわけにもいかないしね。カッコ悪いから。 これもいつものセリフだ。そういう雷電は新しい戸籍を偽造する時に、自分の名前を結局、Raidenなんとかという名前にしてしまった。元がジャックなんだからジャックにするか、『ジャック』が嫌なら今までとは全く違う名前にしたらどうだと俺が言うと
「『雷電』でいいんだ。色々あったけどアンタと出会った時の俺は『雷電』だったし、あれから俺は自分の人生を自分で選び始めたから。それに…………アンタに『雷電』って呼ばれる俺は……キライじゃない」
そう言ってふわりと笑った。すっきりとした笑顔だった。それで俺はそれ以上何も言えずに「勝手にしろ」と答えるしかなかった。まあ、奴の手配書は「ジャック」で出回っていたから(随分と御大層な『犯歴』が書かれていて笑ってしまったが)奴がそれでいいならそれでも良かろうと思ったのだ。 だから俺は今まで通りコイツを『雷電』と呼んでいるが、奴は何度注意しても俺のことを『スネーク』と呼ぶ。困ったものだ。
「ちゃんと人前では『デイブ』か『プリスキン』って呼んでるんだからいいじゃないか」
ジェシーを先週買ってやったばかりの空気清浄器付きのベビーベッド(何でも探せばあるもんだ)に寝かしつけて、こともなげに言う。俺は首を竦めて、大袈裟に溜息をついた。
「どっちかというと『パパ』と呼ばれてる方が多い気がするがな。ともかく『壁に耳あり、障子に目あり』って言うぞ。油断は禁物だ」
「あ、それって『壁にミミアリとジョージとメアリーが張り付いてる』って意味だろ? いたずらっ子たちが聞いているかもしれないぞって。にしてもミミアリって変な名前だよなぁ」
一体、何語の名前なんだろう? 食卓につきながら首を傾げる様子に、俺は口に含んだばかりのコーヒーを噴き出しそうになった。無理やり喉の奥に流し込んだものの、鼻の奥がツーンと痛くなる。
「~~~~~~お前それ、オタコンに聞いただろう」
「そうだけど……意味、違うのか?」
オタコンは雷電をすっかり気に入っている。最近では俺と仕事で話すより雷電と無駄話している時間の方が長い位だ。本人は「弟が出来たみたいで嬉しいんだよ」などと言っているが、実は雷電をからかうのが楽しいに違いない。
雷電も雷電で、毎度のように騙されては腹を立てて無線を入れ、別のアヤしい話を吹き込まれてフンフンと頷いている。コイツときたら、戦闘以外の常識や一般教養はまるでからっきしなのだ。実はその辺も『奴等』に利用された理由かもしれないと、俺はひそかに思っている。
「……少し違う。次からはそういうのはメイ・リンに聞け。……しかしお前、そういうところは相変わらずだな」
「何が?」
「……単純軟弱石頭」
咄嗟にガード出来るよう、俺は新聞を持つ指に力を入れた。いつもならこう言うと怒って「アンタこそ、嘘つきのヒネクレ者の、カッコつけのスカした……!」と始まり、酷い時には皿やら目覚まし時計やらが飛んでくるのだが、今日は何故かピタリと黙り込んでしまった。
まずい、もしかして本気で怒ったのか? 慌てて新聞から顔を上げると、奴は別に怒っているわけではないようだ。サラダのミニトマトを食べるでもなくフォークの先で突付きながら、神妙な顔で何か考え込んでいる。妙に頬が赤い気がするが、その表情は「怒り」より困惑もしくは恥じらいに近い。沈黙を破ったのは雷電の方だった。
「……これも昨日オタコンに聞いたんだが」
「ん? 何をだ?」
あの野郎、いったいコイツに何を吹き込んでるんだ? 俺は平静を装いつつ、頭の中でオタコンに首締めをかます。
「スネークの『単純軟弱石頭』っていうのは、『素直で優しくて一途』だから、つまり『可愛い』って意味なんだって?」
ブーーーーーッ!!!
ゲホッ!ゴホッ!ゴホゴホ!
俺は今度こそ盛大にコーヒーを噴き出し、思わず立ち上がって咳き込んだ。口元を押さえながら拳を握り締める。
~~~~~~オ~タ~コ~ン~~~~~!!
余計なことを!!! 次に会ったら、実物をボコボコにぶん殴ってやる!
気絶させてロッカーにぶち込んでクレイモアとC4仕掛けて出られないようにしてやるからな!
気管にコーヒーが入ったらしく、なかなか咳が止まらない。雷電が立ち上がって俺の背中をさすりながら、寂しそうに呟く。
「スネーク……これも少し違うのか?」
「いや、それは…………」
口篭る俺の顔を、雷電が真っ直ぐ見上げてくる。
これだ。この瞳だ。時折銀色に煌く、深い森の泉のように吸い込まれそうな瑠璃色の瞳。
はっきり言って、どんな拷問より効くぞ、これは。
絶対に嘘なんかつけない。少なくとも、俺は。
「スネーク?」
「……それは…………違わん、ほぼ正解だ。……クソッ!」
赤くなっているかもしれない顔を見られないよう俺は奴に背を向けて、普段食事時には止められているタバコを銜え、どこかのポケットに入っているはずのライターを探した。ええい、どこに入れたんだったか。こんな時に限ってなかなか見つからない。
雷電がすぐにサイドボードの客用ライターに火をつけ、笑いを押し殺した顔でこっちに差し出した。俺がゆっくりと一息吸うとそのタバコを取り上げ、勝ち誇ったように訊く。
「『ほぼ』ってどういう意味?」
「…………『それ以上』ってことだ」
これ以上恥ずかしい言葉を言わされずに済むよう俺は急いで奴を抱きしめて、その柔らかな唇をしっかりと塞いだ。